次の時代に必要とされる能力 [これからの仕事]

明治時代の近代化、戦後の高度成長。
世界に類を見ない <経済の発展> を可能にしたのは、
  庶民の文化度、つまり、「読み書きそろばん」、の能力であった。

文字が読めれば、本を読むことが出来る。
文字が書ければ、人に伝えたいことを書き記すことが出来る。
 目の前に居る人ではなく、場所や時間、時代を異にする人との出会いが可能になる。

そろばん、つまり、数字を管理し、計算することが経営に繋がる。

人を間接管理できれば、支店を出し、関連機関との契約が出来る。

明治になってからの初等教育の整備。
江戸時代の寺子屋。
  そんな、庶民が学ぶ機会が、文盲率を低く抑え、情報の共有を促した。


この情報の共有が、これからの時代の焦点になる。
コンピュータによる広域性、速報性が広く提供され、
大量の情報を蓄積し、加工する技術も高度化している。

 人間の手の働きを高度化したのが織機であり、
 人間の足の働きを高度化したのが車であり、
 人間の頭の働きを高度化したのがコンピュータである。

コンピュータにより、あらゆる働きが取って代わられて行く。
農業も工業も、物流やサービスも通信とデータ処理に集約されて行く。

情報を有効に扱える能力
これが、これからの基本能力である。

人の話を聴き、自分の考えをまとめ、それを伝える能力は、
コミュニケーション能力といわれるものだが、
この言語能力も情報能力の一形態である。

しかし、情報能力で最も重要なのは、事実を確認する能力である。
  情報に支配され、振り回されないための賢明さ、とでも言えよう。
情報を検証し、確かめる能力と、そのための時間と労力を惜しまない努力。
  元になるデータの出所を確かめる。
  多様なデータを広く見渡して整合性を確かめる。
人物や組織の信用性を、批判的に検証することも必要である。
  人が発する言葉や行動を、冷静に観察して情報として蓄積する。
  誰が、どんな時に発した情報なのかを、正確に記憶しておこう。

コンピュータを使う能力、と言うと、
ワードやエクセルが使えること、と考えがちだが、
それは、筆が持てて、そろばんが使えることに過ぎないし、
今では、ペンが持てて、電卓が使えることに過ぎない。
携帯電話が使えても、インターネットが使えても、
機器を操作できることが、情報を有効に使える能力ではない。

何が自分にとって重要な情報か、それをどう守るか。
自分の経験や知識を、どの様に情報として集約して行くか。
どの様な人物や組織と、どの様に情報を共有し、どの様な関係を築くか。

さらに、これからの自分の生き方をも左右する。
今までの蓄積の上に、これからも加えて行きたい経験や知識とはどんなものか。
そのために有効に生かせる、既に自分の中に在る情報は何か。
新しい出会いとして望むのは・・・・、どんな経験や知識か。
何を知り、どのように自分の中に蓄積し、構築して行くか。
情報を組み立てて、自分の人格に育て上げる努力・・・・。


人生を前に進める、例えば、仕事に就く、というのは、
自分の中に在る情報、経験や知識の記憶に、新しいページを加えること。

  そういう情報の有効な扱いに対するチャレンジ、だと考えて、
  人生の節目を考えてみたいものである。

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