「選ばない」を「選ぶ」という生き方 [仕事に就くために]

人は常に何かを選んでいる。
朝、目覚めて直ぐに起きようか、もう少し布団の中に居ようか。
昼には、何を食べようかと店やメニューを選ぶ。
夕方には、家に真っ直ぐ帰るか、ちょっと寄り道しようか、等々。

日常生活での折々の「選ぶ」行為。

だけど重要なのは、人生の節々での進路を「選ぶ」決断だ。

進学、就職、・・・・
それまでにも、子供の頃の、何をして遊ぶ?
  お稽古事は?
  クラブ活動には何をする?


自分のしたいこと、というのは、そういう様々の「選ぶ」過程で分かってくる。

さて、自分で選ばないで、周りの言うままについて行くのはどうか。
親の言うことをよくきく、いわゆる良い子。

自分では選ばない、というのではない。
自分では選ばない、ということを選んでいるのだ。
  その方が、親が文句を言わない。
  その方が、親が喜ぶ。
  その方が、親が褒めてくれる。
つまり、自分にとっても、居心地の良い状態が保てるのだ。


  自分は、選ぶ、という生き方を選んだか。
       選ばない、という生き方を選んだか。

   どちらの生き方を選んできたか、を考えてみよう。

今まで、どんなことを選んできたか、を考えてみよう。
そこから、これからの選び方が見えてくるだろう。

人生は、「選ぶ」の連続だ。
  その自覚が出来なければ、これが自分だ、という生き方はできない。
  このキーワードを、胸の内でしっかりと受け止めてみよう。

自分が選んだ事については、説明するという手間が必要になる。
「選ぶ」という第一歩を省略したままでは、言葉の世界には進めない。
幼い子が、親に分かってもらおうと必死になって言葉を考える。
    分かってもらうために、説明をする。
大人の世界で重要なコミュニケーション能力も、本質は同じである。


            ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「選ばない」を「選んだ」、という人として、菅直人氏を考えてみよう。
  「~さんにお任せして」、「熟慮して」という文言が目立つ。

「~さんにお任せして」は、他人任せ、
「熟慮して」は、先延ばし。

これ程の、分かりやすい人は居ない。

  父親が技術者だったから理工系の大学に進んだ、とは本人の弁。
  だけど、技術者として就職することは無かった。
    進学、就職、どちらも自分で選ぶことはしなかった。

  厚労相時代のHIVの一件も、他の人が進めていたことを、
  伸子夫人の「今だ」という指示で、地位の利を生かした、という。

そういう人が、今は、日本のトップ。
他人任せ、先延ばし、・・・・その行く先は・・・・

この人が選んだのは、自分では「選ばない」 = 責任を取らない。
何も決めないから、責任を感じることも無い。
他人に嫌われないために、他人に任せっきりにする。
それを、権限の委譲、と混同しているから質が悪い。
  任せてやってる、という傲慢さ、だ。

その結果、
任せてやってるのに、気に入らない、となると、腹を立てる。・・・・ イラ菅
任せてやってるのに、火の粉が飛んでくる、となると、逃げる。・・・・ ズル菅
自分では何もしていないから、説明なんか出来はしない。・・・・ アキ菅
事の進展を把握できていないから、全ての態度も空虚。・・・・ スッカラ菅

やがて、八方塞がりで、THE END ・・・・ ア菅


「選ぶ」ということから逃げ続けた生き方。
「選ばない」を「選んだ」。
本人は、責任を引き受けないための賢い生き方だと思っているだろう。

その生き方が、どの様な結末を迎えるか。
これから、私達国民は、目の当たりにすることになるだろう。

  一日も早く、重要な地位から退いて欲しいものである。

タグ:選ぶ
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