働くということ [ものの見方・考え方]

より少ない労力で、より多い収入を得る。
それが、働くということだ、と考えていませんか。
働くということを考える時の、基本的な考え方だと。
よく言う、費用対効果、というところでしょうか。

この考え方で行くと、
「収入が期待できない時には、何もしない」、から、
「多くの収入を得るためには、どんな事でもする」、に至ります。

上段は、引きこもりやニート、下段は、詐欺師や援助交際、など。
どちらも、極端な生き方です。
ほどほど、あいだ、という所を模索してみたいものです。

上段と下段の間に、
収入は期待しないけど、人の役に立ちたい、(ボランティア活動)と、
多くない収入でも、人の役に立てるのなら、(普通の仕事)があります。

この、人の役に立つ、というのが、働くことの原点です。

人間は、ずっと群れで暮らしてきました。
今では、家族や地域、国家や社会、というところでしょう。
自分の周囲に居る人のために何かをする、と言うことです。
それが、役に立つと、有り難うが返ってきます。

例えば、幼い子供が、父親の手元に新聞を持ってきて、「はい」と渡します。
お父さんは、にっこり微笑んで、「有り難う」と応えます。
これが、仕事の第一歩です。
喜んでもらえた嬉しさと、役に立つことが出来るという自信が、心の奥に残ります。
有為感、自尊心の芽生えです。

自分は、人(自分にとって大切な人)の役に立つことが出来る。能力がある。
自分は、笑顔で応えてもらえる、尊重されている存在なのだ。大切な自分。
そんな実感が積み重なる中で、より大きな役割を引き受けるようになって行きます。

夜回り先生として有名な、水谷豊先生は、人との関係を築けない人に、
  お父さんの靴を磨きなさい、と勧めています。
一般的にはお勤めのお父さんは、仕事用には革靴を履いています。
ピカピカに磨かれていたら、どんなに気持ちが良いでしょう!
ピカピカの靴を履いていれば、仕事上での信用が増します。
靴磨きは、仕事への応援にもなるのです。
お父さんの役に立ちたい、という気持ちで、丁寧に磨きます。
仮に、声に出して言ってもらえなくても、黙って気持ちを送りましょう。
その内に、きっと、有り難うの言葉が返ってくるでしょう。

役に立つ、から、有り難うを得る。
役に立ちたいという気持ちが、役に立つ行為を生み、
役に立つことが出来る自分を確かめることが出来る、のです。

アルバイトでも、就職でも、
  いくら貰えるか、ではなく、
  どうしたら、役に立つことが出来るか、を考えましょう。

能力を磨く、という時には、普通、授業料を払います。
それを、収入を得ながら、能力磨きが出来るのだ、と考えましょう。
職場は教室。
だとしたら、熱心に授業を受け、予習や復習を心がけている人が抜きん出て行き、
良い成績を取って、どんどん上に進んでゆく、というのは理解できるでしょう。


雇う人の立場から考えれば当たり前のことですが、
いくら貰えるか、それ以上のことはしない、という人には、働き以上を払いはしません。
もっと安くで働いてくれる人が現れたら、交代してもらおう、と考えます。
反対に、多くを払っていないのに、一生懸命に働いてくれる、という人には、
申し訳ない、有り難う、という気持ちが出て、感謝の行為を提供しようとします。
必要以上の高いノウハウを教えてくれたり、
役に立つ人との出会いを提供してくれたり、と。
それは、お金を出しても得ることの出来ない、貴重な財産になります。

この世の中で、本当に大事なことは、お金では取引されないのです。
タグ:働く 生活 言葉
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