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神様になったつもりで願いに向き合う [ものの見方・考え方]

世の中には、人の力を超える大きな力を実感することがある。
この大きな力を神様と言い表すことにする。
  (特定の宗教でいう神ではない)。

この神様は、どのような人の、どのような願いを叶えようとするだろうか。
神様になったつもりで考えてみよう。


日々、「神様、お願い!」、と心の中で念じることが多々ある。
  電車に乗り遅れそうになって、「どうぞ間に合いますように」、と念じながら足早に歩き、
  それでも危ないとなると、「うわぁ、神様、何とかお願い!」と走り出す。

  試験などの緊張場面では、「落ち着いて臨めますように」と、息を整えるだろうし、
  厳しい道程では、「頑張り抜けますように」と、後押しを願う気持ちになるだろう。

    そんな経験は、誰だって、何度も何度もある筈だ。


● では、神様が自ら采配を振るうのはどんな時だろうか。

クリスマスのサンタさんは、
  一人一人が、何を欲しがっているか分かっていれば、プレゼントを用意し易いだろう。
  サンタ父さんは、それとなく子供たちに聞いてみるのではないだろうか。

七夕の短冊には、星の神様へのお願いが書かれている。
  単身赴任の父さんが早く帰ってきますように、とか、
  鉄棒で逆上がりが出来るようになりますように、とか・・・・。

  どちらかと言えば、物をねだる、と言うよりも、状況の変化を願うことが多そうだ。


神様になったつもりで考えてみよう。・・・・どんな時、手を差し伸べるか。

    ①願いが具体的である。
    ②自分の努力で相当なところまで到達している。

  どんな助け? ・・・・・・・・ 分かりやすい。具体的な求め方。
  どれだけの助け? ・・・・ あと一寸。軽く手を差し伸べるだけで良い。

  力を貸す値打ちは有るか? ・・・・ 本人なりに、ずいぶん努力している。

  遣るだけ遣って、後一歩。これだけをお願い! ・・・・という形である。

    自分が何を望んでいるのか。
    自力で乗り越えた部分と、神様にお願いする部分。

  それらを、明解に伝えなければならない。
    自分の中で、神様へのお願い文を清書してみなければならない。

      下書きに始まって、最も重要な点をしっかり明確にする。

  神様に気に入ってもらえるように、筋の通ったお願い文を作成するのだ。


●神様になったつもりで、そのお願い文を受取ってみよう。
    なるほど、うん、力を貸してやろう、という気になるか。

  兎に角、何もかもお任せします。・・・・では、相手にはしないだろう。
  まだ何も遣ってないのですが。 ・・・・では、遣ってから言え、となる。
  選びきれずに迷っています。  ・・・・では、決めてから頼みに来い、となる。


大きなお願いをするには、それなりに、丁寧にお願い文をまとめねばならない。
神様を説得し、これは力に為ってやらねば、という気持ちを起こしてもらおう。

神様に嘘は通じない。ごまかしも駄目。
真正面から来ないなら勝手にしなさい、とばかりに手を引かれてしまう。


現実の世の中では、教師や上司などを騙すことは出来る。
だけど、神様を騙すことは出来ない。
  騙していると自分は知っている。
  これは嘘だ、いい加減にしか願っては居ない、
  そんなに本気じゃないけど、駄目モトでお願いしただけ、
    そんなことを、自分自身は心の中で知っている、のである。

そんな場合、絶対に願いには近づけない。
  なぜなら、神様とは自分のことなのだから。

  神様と向き合う、と言うのは、自分自身と本気で向き合う、という事なのだ。

    人の力を超える大きな力。
    それは、自分自身の中に眠っている可能性、という無限の力のことである。
        神様というのは、自分自身の可能性のこと。

    無限の可能性を、自分の中に発見し、育てよう。
        自分の中の可能性と、本気になって向き合ってみよう。

タグ:神様 願い

日本の2012年問題 [ものの見方・考え方]

団塊世代の定年退職に備えて、いろんな職場で人材確保が図られた。
2007年問題と言われ、企業の採用計画に、それなりの影響を及ぼした。
その波が、次の波を起こそうとしている。
多数の雇用者が、60歳で退職し、65歳で年金族となる。
大量の年金受給者が発生し、年金の積立金が取り崩され始めるのだ。

長年、年金の払い込みを通じて、基金の資産を増やしてきた世代が、
どっと、取り崩しの側に回る。
学年としては、1947年4月生まれの人からが団塊の世代になるが、
45年8月に戦争が終わって、兵役から解放された人達が家庭を持ち始めたのだから、
46年から出生率が上がったことは容易に想像できる。
その人達が、65歳になるのが今年、2011年後半である。

この世代の人達への年金支払額が、どれくらいに上るのか。
財政に及ぼす影響はどうか。

膨大な財政赤字を抱える日本。
現在、国と地方の長期債務残高は、850兆円を超え、何時、破産するのかと心配されている。
他国と違って、外国人が支えているのではなく、
日本人が買い支えているから大丈夫だ、という人も居るが、そうだろうか。
支えている日本人とは、年金と郵貯のこと。
国民の積み立てた年金資金と、郵便貯金の預入金が、国債を買い支えている2本柱である。

その年金基金が取り崩しの時期に入るのである。
大きな影響を及ぼすだろう。

1年前、鳩山政権下で金融大臣(郵政担当)の亀井氏が、
郵貯の預け入れ限度額を、1000万円から、一挙に2000万円に増額する案を発表した。
国会を通過することにはならなかったが、これは、
  年金の取り崩しを補うためにも、郵貯の預金残高を増やしておかねばならない、
という状況を物語っている。
実際には、郵貯の残高も、年々減っている。
あまりの低金利に、預金者は預金を取り崩して他の投資に向けているのである。
多くが海外の高金利に向かっている。
国債の利払いを避けるために、ゼロ金利を続け、
国民の貯蓄意識に応えることを怠ってきたツケ、と言えよう。

年金も郵貯も、何時までも国債を引き受けられる訳ではない。
ある日、国債が売れ残る、つまり、完売できなかったらどうなるか。
債権が売れなければ、金利を上げるしかない。
金利が上がったら、利払いで国家予算は吹っ飛ぶ。
そういう時限爆弾の上で、今の日本は国を経営しているのである。
37兆円の税収しかないのに、92兆円の予算を国会に提出する現政権。
借金の上積みに、余りにも無神経すぎる。


 さて、私達は、どのように備えるべきか。


仕事を探している人は、
求職活動の土俵が、一瞬にして様変わりする事態も想定しておいた方がよい。
山積みの国債や地方債を前に、公務員の給与カットやリストラも、現実のものになる。
様々の社会支援(生活保護等)も維持は不可能となる。
文化生活は、原始生活に戻るのである。
公の支援で生きるのではなく、私の自助で生きてゆくのである。

出来れば、どんな仕事でもよいから、職に就いておきたい。
給料が安くても、仕事が厳しくても、職場の人とのつながりが有る、
というだけでも、孤立の中で不安に取り巻かれるよりも良いのではないか。
信用できる人が身近に居る、という状況だけでも用意しておきたい。
誠実に仕事に取り組み、信用される人間になっておきたい。
支えあえる言葉を交わせる場が、イザという時の拠り所になる。

資本主義の原点。金(仕事)を縁にして繋がりあう、とでも言えよう。
  要領よく金を稼ぐのに腐心するよりも、
  丁寧な仕事をして、人間としての信用を築いてゆきたいものである。
資本主義の原点は信用だ、と考えるのだが、どうだろうか。

タグ:信用 年金 国債

「好き」と「嫌い」に向き合う [ものの見方・考え方]

好き or 嫌い ・・・・
私達は、一瞬一瞬の出来事に対して、好きか嫌いかを感じ取っている。

本来なら、一呼吸おいて、冷静に判断してから行動に移る。
しかし、そういうステップを経ずして、自動的な行動も往々にして有り得る。

例えば、熱湯に触れれば、「アツッ!」、と思わず手を引っ込める。
熱いけど、どうしたら良いのか、なんて考えていては、大やけどだ。
腐ったものを口にした時だって、思わず吐き出すことだろう。
自然災害や交通事故など、身に危険が近付けば、体が反応する。
  生命を守るための、「生存本能」である。


  ・・・・ 同様のことが、心の中でも生じる。・・・・

人は感情で生きている。好きと嫌いの世界である。
   好きなものに対しては、近付こう、手に入れようとし、
   嫌いなものに対しては、遠ざかろう、手放そうとする。

この反応は、立ち止まって考えるということ無しに、行動として現われる。
と言うよりも、知らず知らずの内に、人間の行動を引導する。

好きな人が出来たら、
 その人に近付きたい、その人のことを知りたい、そして、その人を手に入れたい、という気持ちが働く。
 その最たるものがストーカーである。
反対に、嫌いな人に対しては、
 近付きたくない、遠ざかりたい、いや、遠ざけたい、と思うのである。
 嫌な事があったら、その場から立ち去ろうとする。
 見たくない、といって目を背ける。

人に対してだけでなく、事柄に対しても同じように反応する。
 好きこそ物の上手なれ、というのは世の常識であり、
 嫌なことがあれば、その場から遠ざかろうという行動になる。
  引きこもり、・・・・、最も極端になると、自殺。


では、好きと嫌いに支配されないためには、どうすればよいか。
  好きな場合でも、必要だと判断したら、思いとどまる。
  嫌いな場合でも、必要だと判断したら、取り組む。

好きならアクセル、嫌いならブレーキ、という生存本能の反対である。
好きでも時にはブレーキ、嫌いでも時にはアクセル、という意志の働きである。


考えてみれば、
  人間は、生まれてしばらくは、本能のままで保護される。
  やがて、社会性の第一歩として、トイレ・トレーニングを受け、
  自分の身体を健康に育むために、食事の好き嫌いを矯正され、
  自分の精神を偏り無く磨くために、教科の好き嫌いに挑戦する。

食事も排泄も、時と場所をわきまえる事から、社会の文化に馴染んで行く。
義務教育までは、受身でありながらも、学ぶ、ということを学ぶ。
その後は、次第に、自分の知識獲得に責任を負うことになる。
好きな分野を伸ばすのも、嫌いな分野を克服するのも、自分次第。

 好きなことを、もっと大きな目標のために諦めたことが有りますか。
 嫌いなことを、大きな目標のために正面から取り組んだことが有りますか。

   大きな目標、それこそが、冷静な判断による、人生設計です。

自分の在りのままを直視し、自分のなすべきことを判断して行動する、こと。
直視することを避けようとすると、
  認めたくないことを否定するために、嘘をつくか、力で捩じ伏せる、という行動になり、
  自分の為すべきことを判断することも、信念に基づいて行動することも出来はしない。

  嘘をつく人は、やがて、力で捩じ伏せようとする態度に出るでしょう。
  言葉に責任を負えない人は、言葉を放棄し、力に頼るようになるのです。
    権力者はもとより、財力、・・・・、地位、腕力、・・・・。


好きなことはするが、嫌いなことはしない、というだけでは、
  生存本能のままであり、それ以上の生き方には為らない。

   見たくないことを直視する力、それが、「勇気」。

自分の人生、勇気を持って、真っ直ぐに見守って行きたいものです。


そして、
  助けが必要な場合には、助けを求めるのも 「勇気」 なのであり、
   求められた助けを提供しあえる社会を築きたいものです。


タグ:勇気

3K、逃げないで向き合ってみよう [ものの見方・考え方]

きつい、汚い、危険という 3K。
職業として携わる領域に、この3Kと無縁でいられるものは無い、のではないか。
逃げられないのなら、正面突破を試みてはどうか。


この職業は 3K では無いか、という目で見れば、足が止まってしまう。
人は、嫌いなものには近付かない、遠ざかろうとする。
我慢して働きなさい、と言っても、それは無理。

だとしたら、嫌なもの、避けるべきものではないか、と心配するよりも、
気軽な好奇心でも良いから、体当たりしてみたらどうだろうか。
  出来ないと思っていたことが出来たり、
  感謝の笑顔や有り難うの言葉が返ってきたり。
体当たりで、新しい体験に無我夢中になっている内に、
これは3Kか、というような問いかけは忘れてしまうのではないか。

心配するよりも、自分の人生に可能性を求めよう。
どんな役割に、遣ってみようという好奇心を抱くか。
自分の好奇心がどんなものか、良く考えてみたいものである。

タグ:3K

手応えを引き寄せれば、3Kは遠退く [ものの見方・考え方]

仕事選びに関しては、好きなこと、遣りたいことが分からない、という場合、
先ずは、アルバイトから始めてみよう。
例えば、コンビニでのアルバイト。
接客、在庫管理、陳列、宅配受付、公共料金受領、等々。
多様な作業をこなして行く中で、色んなことが学べる。

何も出来なくても、これから出来るようになる。
そのためには、何は何でも、全力で取り組もう。

定刻よりも、5~10分は早く出勤しよう。
   途中で何があるか分からないから、早い目に家を出る。
   出来れば、始業10分前には準備を済ませている、というのが望ましい。
ポケットには小さな手帳を入れておこう。
   仕事中に気付いた言葉、業界用語や、仕事の手順・注意点などを書いておく。
   知らなかった言葉などは、家に帰ってから、辞書やネットで調べておく。
   また、関係者の名前なども、メモしておいて早く覚えるようにする。
言葉ははっきりと、相手に伝わるように話そう。
   相手の言葉に対しては、「はい」、の一言が好印象を与える。
   その次は、有り難うございます、申し訳ありません・・・・この2つ。
自然な笑顔が周囲に元気を与える。
   笑顔で応えると言うのは、私はこの仕事が好きです、というメッセージ。
   いい仕事がしたいです、という気持ちが好感を呼ぶ。
   いい仕事が出来るように、努力する姿勢が生まれる。
                       ・・・・ 等々

以上の様なことを実行するためには、
   時間的にも、精神的にも、余裕が不可欠である。

一番の敵は、睡眠不足。
だから、前の日の晩は、早く寝よう。
   音楽や映像の観賞、メールの遣り取り、等は、
気分転換に楽しむ程度にして、自分の時間はしっかり確保すること。

その日一日の仕事を振り返って、
   良かった点、拙かった点、もう一寸だった点、などを思い返してみる。
そして、もっと上手く遣るにはどうしたら良いか、と考えてみる。

明日は、こういう風に遣ってみよう、
   ということが具体的に思い浮かべることが出来れば、進歩間違いなし。
次の日に、それを実行する。
   ・・・・上手く行けばOK.
   ・・・・上手く行かなければ、また、考えて、遣ってみる。

メール仲間に不義理をしても、自分自身との問答を優先するのだ。
考える、遣ってみる、振り返って考える、という繰り返しの中で、
   出来なかったことが出来るようになっている、という自分、
   成長している自分の姿が実感できるだろう。

具体的な仕事の中で、一つ一つの小さな工夫を重ねている内に、
   想像していた以上の、大きな進歩が成し遂げられているのだ。
山道を一歩ずつ登っていて、ふと景色に目を遣ると、
   さっき通ってきた家並みが、眼下に小さく見えている、というのと同じである。
きつい急斜面もあった、こわい断崖もあった、だけど、ここまで登ってきた。

そういう、急斜面や断崖が、例えて言えば、仕事における 3K かも知れない。
だけど、目の前の工夫に気持ちを込めていたら、いつの間にか通り過ぎていた。
そういう風に考えられないだろうか。

コンビニでのアルバイトであっても、
  働くことで自分が成長する、というノウハウが身に付いたという実感が自信になり、
  そういう成長する自分が好きだという実感が、新しい可能性を招く。
アルバイトでもボランティアでも、仕事でも、積極的に取り組むことが出来る。
遣りたいことを遣ってみる、という生き方に進むことになる、のである。
タグ:3K

「好き」は、3Kに勝る [ものの見方・考え方]

 ◇◇ 結構、純粋だった頃を思い出してみよう ◇◇

学生時代、クラブ活動を選ぶ場合には、
  好きなこと、遣ってみたいこと、を考えて決めただろう。

運動クラブに入れば、汗まみれ、泥まみれ、おまけに怪我することもある。
文化クラブでは、行事に向けて、練習や計画作り等、いろんな気遣いがある。

だけど、そんなことは気にしないで、目の前の「今遣るべきこと」に取り組んだ。
あっと言う間の学生時代が終わって、振り返ってみると、よく遣ったなあ、となる。

そう、遣ってみようと思った活動なのだから、とにかく、遣ってみる。
新入生から見たら、2年生、3年生は、ずっと上の遠い存在だった。
楽しみという好奇心と、不安や失敗。
だけど、日に日に色んなことが分かり、上達して行く自分が実感でき、
仲間と共に活動する楽しさに慣れ親しんだことだろう。
1年経って、自分が2年生になった時、
   1年間の足跡が、ずっしりと実感できたのでは無いだろうか。

好きだから、遣ってみたかったから、・・・・そこから初めて、貴重な経験が残った。
途中で止めてしまった人が居たかも知れない。
好きでなくなった、遣ってみたい気持ちが無くなった、という人。
もっと重要な、遣りたいことが見付かった、という人。
それぞれの理由があるだろうが、自分の気持ちを見つめながら選んでゆく。
青春時代の特権、である。

  ◇◇ 好きなこと、遣りたいことを遣って・・・・良かった! ◇◇


自分で選択し、熱中して活動し、経験として蓄積して行く。

仕事も、自分で選択し、熱中して取り組み、実績として蓄積して行く。

新卒の就職戦線では、学生時代のクラブ活動や、アルバイトの経験として、
経験者の就職戦線では、以前の職場での実績として、
  この様な、選択、取り組み、結果、というプロセスが問われる。

好きな道なら、困難に出会っても、逃げることよりも、より一層の工夫へ向かう。
昨日より今日、今日より明日、という面白さ。
他人からは困難な課題に見えても、本人には、より良い自分へのチャレンジである。

   好きこそ、ものの上手なれ。

昔から言うとおり、好き、ということに真正面から取り組もう。
真正面から取り組むことで、自分が大きく、強くなる実感が得られる。
本当の「好き」と言うのは、そういうものだろう。
本当の「好き」と言うのは、気軽な楽しさとは正反対だと言うことだ。


3K (きつい、汚い、危険)を心配するよりも、
  3Kを気にする必要の無いくらい、「好き」なことを見つけよう。
とにかく、遣ってみたいことを遣ってみよう。
熱中している内に、3Kは3Kではなくなる。

            ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

3Kという言い方は、好きでない、嫌い、という世界に位置する。
好き、という世界に没頭すれば、
  3Kは、自分の実力を鍛えてくれるハードルとして向き合えるようになる。
好きなことに関連するものは、3Kでさえ、好きな世界の存在なのである。


反対に、3Kを、嫌い、避けるべき対象として考えている限り、
好きな道への障害物として、大きく立ちはだかるのである。

この仕事は、3Kか、と問えば、どんな仕事にも就くことは出来ない。
初めから、その仕事を好きではない、という気持ちが働いているのだから。

学生時代のように、自分の、好き、遣ってみたい、という気持ちを大切にしよう。
予想される困難を、避けるべき3Kと考えるか、自分を育てる課題だと考えるか。
  同じ状況でも、受取り方によって、否定にも肯定にもなる。

好きなら困難な道を行け!
自分にしか開けない、自分だからこそ切り開ける世界に向かって・・・・。
タグ:3K

3Kに向き合う(続) [ものの見方・考え方]

3k (きつい、汚い、危険)は、避けられるか。

反対を考えてみよう。
らく(楽)、綺麗、安全、ということになる。

まるで、温泉旅館の客室にいるような、心地よい情景が思い浮かぶ。
窓の外は見晴らしの良い景色、室内は快適な室温で、居心地の良い調度。
温泉に入り、部屋に運ばれたご馳走を味わい、寝具を整えてもらう。
まさに、お客様。 ・・・・ そう、お金を払う立場。

反対に、旅館の側は、サービスを提供することで、収入を得る。
この収入が、職業としての報酬である。

            ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

職業というのは、3Kを引き受ける仕事が収入をもたらす、と言えよう。
人々に代わって、汚い、と、危険を扱ってくれる、のだ。

   汚い、と言っても、この地球上の汚いものは、全て生物に由来する。
   本当に汚いもの、なんて存在しないのかも知れない。
   状態が汚いという外観を呈しているだけで、処理すれば状態は変わるのだ。
   この処理を担うのが、その道のプロ。

   危険、というのも、状態のことであり、対処することで防げる。

下水道は、処理をして汚い状態を解消し、
車の危険性は、道路の整備や車の技術、運転者のマナーなどで対処する。


その道の専門家、プロ、というのは、きつい仕事をこなしながら、
世の中の、汚い、や、危険、を引き受けて対処する人のことを言うのだろう。

3Kに関わりの無い作業、
それを仕事として引き受けることは出来ても、それは、ボランティアとしてだけだろう。
人々が代価を支払ってまでも希望する働きとは、
   自分がしたくないこと、
   自分には出来ないこと。

人がしたくない、人が出来ない、という仕事を担うには、
それなりの、知識や技能の習得、訓練や実地での経験の積み重ねが必要である。
誰もが出来る、という世界ではない。
だから、厳しいのだ。
そういう、きつい状況を含まない職業、というのは存在しない。


結論として、3Kを避けていては、職業には就けない、ということである。

反対に言うと、3Kのどの部分を引き受けるか、というのが職業選択。
どの部分を、どの様に引き受けるかを判断するのだ。
出来ないことを出来るようになる、それが職業経験、である。

採用者が求めている職業経験とは、
  その、出来ないことを出来るようになるための仕事の積み重ね、のことである。
  今まで、どの様にして自分の能力を高めてきたか、という
      3Kへの向き合い方、を問うものではないだろうか。
タグ:3K

3K、向き合ってみると・・・・ [ものの見方・考え方]

3K = きつい、汚い、危険

仕事を選ぶ場合に、3Kを避けるようになって久しい。
しかし、私たちの祖先は、農地を開墾し、海原で漁をし、
また、山深い地域では、山菜取りや炭焼き、狩猟など、厳しい生活をしてきた。
飢饉に見舞われては、命をつなぐことに苦しんできた。
間引き、身売り、姥捨て、等々という言葉がその厳しさを物語っている。

近代になってからも、蒸気機関車の罐焚きを思い浮かべるまでも無く、
織機工場、製鉄所、トンネルや橋の建設現場、など。
   男性が、肉体労働で汗まみれになって国を築いてきた。
また、そんな多数の労働者に食事など、裏方の支援をした女性も、
気の遠くなる量の食べ物の用意や、掃除・洗濯に汗を流した。

高級料亭の料理人だって、今で言う、3Kに違いない。

   ところで、3Kを避けようとして、何が築けるのだろうか?

今、そういう仕事を、担っているのが外国から来た人達である。
嘗ての日本がそうだったように、これから飛躍するだろう国の人達。
体全体で体当たりして仕事を覚え、自分の人生を築いて行こうとしている。

そんな、現場で、
  日本の超エリート、2、3ヶ国語が話せるような若者が、
  3Kに体当たりをして、仕事をマスターして行くという。
    そういう若者も居る、ということだ。

国にとっても、個人にとっても、
  大きく飛躍する前には、体当たりの時代が必要なのである。

日本は、国としては成長期を終えて、円熟期に入っている。
その円熟期を担う立場の人達は、それなりの道を歩んでいる。
しかし、自分の力で、自分の人生の成長期を開拓しようとする人は、
自ら選んで、スタート地点を体験して学習しようとする。

最先端の科学技術だって、泊り込みで研究し、危険な実験もする。
生物を研究する場などでは、綺麗ごとだけでは済まない。


誰が言い出したか知らないけど、
   人が言う、「そんなの、イヤだよね」、という囁きに支配されて善いのか。

この仕事は、こういう点が自分には向いていない。
そういう、具体的な確認をしてみよう。

何がしたいのか、何が好きか、という漠然とした考え方よりも役に立つだろう。


家庭生活だって、ほんの少し前までは、3Kだったのだ。
  掃除、洗濯、炊事、子育て、・・・・
朝は、お湯を沸かすことから始まっていた。
冷たい水を使い、練炭に火をおこして、朝食を用意していたのだ。
炊事だって、お風呂だって、薪割りをして、煙の相手をして火を扱った。

そういう生活の中から、現在の便利な家電製品が工夫されてきたのである。

これからの時代、どんな工夫を仕事に生かして行くか。
それを考えるのは、体験の中から湧き出る実感に基づいた情熱、である。

体験に体当たりできる若い間に、汗を流せ! 
その中から、3Kをカバーできる工夫を考えて行けば、新しい道が開ける。
   そう思うのだけど、ね・・・・。
タグ:3K

体ひとつから始めよう [ものの見方・考え方]

若年層の生活保護受給者が急増している。

就職活動の中で、年齢制限でふるい落される人達は多い。職業経験が豊富な中高年の人達が、年齢のために仕事に就けないという現実。あるいは、高齢者が体力も無くなって仕事に就けずに公的な支援を求める、というのは仕方が無い。しかし、若い人達が生活保護とは‥‥.

突然の派遣切りで、仕事と住まいを同時に失った人に対して、短期の支援が為されることは、社会のセーフティネットとして整備しておくのが当然であろう。しかし、現在の生活保護は、年金支払額よりも高額なのである。長年、年金を払い込んできた者よりも、手厚い保護が長期に提供されるとなれば、これは問題である。

 ならば、この若年受給者に対して、どの様に考えればよいのだろうか。


酒やタバコに使わないで、
時間と資金を、自分の労力で自己投資に向けて欲しいものである。
例えば、
  自炊をして、食と健康に対する知識を得る。
  その他の知識を得るために、読書をする。
    専門学校に頼らないで、自分で学び取ることに挑戦してもらいたい。


自炊というのは、生活の原点を自分でコントロールすることである。

飲み物・・・・人間は、適時、水分を補給しなくては生きて行けない。
   当然のこととして、自販機やコンビニで飲物を買っていないか。
   結構、お金を使っているだろう。買うのは止めて、自分でお茶を沸かそう。
   代金を節約できるだけでなく、余計な添加物を摂取するのを防げる。
   牛乳以外は、買わなくて済むはずである。

食べ物・・・・体力も気力も、エネルギーの源泉は食事である。
       毎日の食事を、栄養のバランスや費用の面から工夫しよう。
   食材を賢く入手するには、お店を選び、品を選ぶ。
   まとめ買いや、作り置きなど、自分なりの遣り方を試してみる。
   健康に良い食事を知るために、栄養や食材の知恵を学ぶ。
   自分の食生活を尊重する意味でも、時には嗜好品も楽しむ。
   プランターで簡単な野菜作りだって、遣ってみてはどうだろうか。
 
簡単な本を購入したり、テレビで栄養や料理の情報を得たり、ネットで調べたり・・・・。
食生活に関する知識や技術は、広い範囲で応用が出来る。
外食産業だけでなく、農業に就くことも、健康産業に就くことも・・・・。


生活保護を受けたからには、その時間を生かさねばならない。
生きるための力、働くための力。
これからの就職活動に役に立つ、自分の力を磨く時間に使おう。
どんな時間の使い方をしたか、面接で堂々と話せるように。
そんな貴重な体験にして欲しい。


社会から、若年者への生活保護が問題視されることにならないよう、
よい前例を示そうと努めるのが、金銭支援に報いる義務である。
タグ:生活

事実を確かめて判断する [ものの見方・考え方]

15日(日)夜9時からの放送に、一つの発見をした。
  NHKスペシャル
   魔性の難問▽リーマン予想に挑む数学者たち
   天才たちの栄光と挫折▽謎の法則

数学は徹底した論理の世界でありながら、
また、天才的な閃きによる新展開も要求する。

素数の法則性を求めて、多くの数学者が挑んできた。
その世界で、天才数学者が発表の場で支離滅裂な姿を示した。
言葉が途切れ、意味不明の発言となったのだ。
統合失調症だった。

          ◇ ◇ ◇

一つ一つの段階を確実に進めてゆく冷静な論理性。
何ものにも囚われない斬新な発想。
思考の連続と不連続の両方を要求されるのが数学の世界だ、というのである。

普通、統合失調症では、妄想や幻覚が主な症状であり、
  内の世界と外の世界が区別できないため、とされる。
だから、援助の第一は、
外で生じていると感じる状況を、本当にあったことかどうかを確かめる、
という方向に促すことである。
自分が思っているだけ、という世界から引き出すのである。
そのために、それが、思っているだけのことだ、と理解してもらうのである。
逆から言うと、
そういう、事実を確かめる、ということをしないできた結果が症状なのだ。

病気としての統合失調症は専門家に任せるとして、
人間が人間として健全であるためには、
色んな感情や思考が自分の内部で生じることと、
色んな出来事が自分の外部で生じていることを区別しなければならない。

区別、というのは、違い、が分かることである。
自他の区別、為されていることと為されていないこと、・・・・、等々。
善いことと悪いこととの違いが分からなければ、善悪の判断は出来ない。
社会生活、他者との関係が成り立たない、という結果を招き、
この結果に直面して、初めて自分を見直すことになる。


最近、この類に思えるのが、鳩山首相の態度である。
故人献金の偽装申告、という違法行為だけでなく、
資産管理会社からの出金処理の不自然さ、
昨年度の株の売却利益の申告漏れ、
更に、5(?)年間の株の取得の無申告。
次々と明らかになる、適切な事務、管理の不在。
まるで、自分の政治家としての法の遵守が意識されておらず、
結果として、秘書の処理を確かめる、という態度が無かったこと。

この、無責任、というか、赤子のような幼稚な態度である。
言われたことを責任を持って成し遂げる。
確実に成し遂げておかなければ、後から苦労する。
そういう人生での大人として当然の行為が経験されていない、という様子。


民主党政権が発足した折も、
人事は自分が一人で決める、と繰り返し明言していたが、
結果は、深夜に小沢に幹事長のポストを与えただけで、
(当時の岡田幹事長には、一言の断りも無いまま)
後は、小沢の了解を得てから発表する、という状態。

今また、沖縄の米軍基地の問題で、決断の先延ばし、である。

オバマ大統領との会談でも、北朝鮮の拉致問題に言及され、
まるで他人事のような反応しか返さなかった、という。

閣僚が遂行している内容、
国民が直面している問題、
他国が画策している打算。
そんな現実の個々の事実を、自分の目で確かめることをしない。
だから、考えるべきことが理解できない。
取捨選択の重要度が判断できない。
時間軸の中で優先順位の高いものから処理をする、という発想が無い。
時間の緊急度も、内容の重要度も、しっかり見極めなければ、
決断も、説明責任も、自覚されることは無いのである。

国際会議の場でも、やがて、夢物語だけの首相、と称されるだろう。
夢想首相が、国民の審判を受けるのは、そう遠くない・・・・?
  日本の国の将来が、そこに在りそうである。
タグ:精神 言葉
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